寿司屋修業

台風が過ぎてまた猛暑の日々に戻った。ホントに地球は温暖化なんだ。子供の頃の夏は気温が30度を超えるなんてめったになかったモンだけど・・・。初めてタイ国に行ったとき、その暑さに驚いたけど今じゃタイ人が日本の暑さに驚いてる。先週、高校のクラスメートとランチ会があった(6月にクラス会やったばかりだけど!)。久しぶりに上野に行ったけど外国人が多かった。アメ横で歩いているのは異国の人たちばかり・・皆日本の暑さにビックリしてるんだろう(⊙_⊙;)

    上野も暑かった。前を歩くは・・クラスメイトたち・・

 

   武道の訓練に明け暮れていた高校生活だけど、もう一つ熱中していたことがある。僕の家はパン屋をやっていたけど、その隣はすし屋でショッチュウ店に入ってカウンターの隅に座りオヤジさんの仕事を眺めてた。特に何ってわけじゃないけどタダジッとカウンターの中で動いているオヤジさんを眺めてた。職人の仕事が好きだったんだな。その時はそんな事はまるで思っていなかったけど。ある日オヤジさんが、よっチャン(子供の時、そう呼ばれてた)、そんなに気になるなら中に入って手伝ってよ!その一言でまた新しい修行?が始まった。でも、父親は気に入らなかったみたい。父親は山形の田舎から東京に出てきて小さな商社に入りズ~とサラリーマンをしてたから商売は好きではなかったんだろうけど、母親は山形でそば屋をやってたから何とも言わなかった。結局、授業が終わると空手の練習があるとき以外はすし屋の小僧として朝の三時、四時頃まで店にいて、その後少し寝てから学校に通っていた。すし屋に行ってすぐに教えてもらったのが卵焼き。いきなり厚焼き玉子を四本焼くように言われて焼いたら・・形になったのは二本だけであとは見る影もなく・・それはお土産だと言われて持って帰った。今ではありえないだろうな。何も教えられずに、実際の仕事を任されて失敗してもその理由は一言しか言われない。そして、また失敗して一言教えられて・・・その繰り返し。でも、そのおかげで今でも厚焼き玉子はしっかり焼けます(^人^)その後も、シャリ切りから巻物、握り、仕込みとドンドン教えてもらえた。もちろん、俗に言うしたずみ仕事、洗い物や出前配達、電話番等もやりましたけど、オヤジさん、早く仕事が出来るように教えて、自分はお客さんと飲みたかったんだって・・・お酒好きでしたから。そのおかげで数か月後にはカウンターでお客さん相手に寿司を握ってたものね。最初は常連さんに、新しい子なんだけど握らせてくれるかな!って断り入れて、お客さんの相手をさせてくれるんだけど。お客さんも快く、新人だね!なんて言って構ってくれて・・いろいろ勉強させてもらった時代だった。今思うと実仕事を教えてくれた先輩方はホントにありがたい方々ばかりで、教えてくれることが自分の自慢話や聞きかじりの精神論だった方々は皆印象に残っていない。こう言う先輩のなんと多かったことか。それは、その後の仕事でも武道修業でも同じで厳しさはそういう所に有るのかもしれない。